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カバーコラム
毎月「暗渠」「ステビア」「農業」「農村景観」をテーマにカバーコラムを書いて行きます。

畑■MOTTAINAI

 この仕事を始めた頃、農家さんの気持ち

を少しでも知ろうと思い農地を3反程借り

て、農業を試みた事がある。毎日天候を気

にしながら生活した事を覚えている。キャ

ンプを行ったのもこの畑である。ピザを焼

く窯をつくり、子供達が畑からトマトや茄

子を採って来てその場で切って乗せて食べた。とても贅沢な時間を過ごした事も覚

えている。

娘が畑の真ん中で泣いていて、なぜ泣いているのかを聞くと「トマトが食べたいけ

ど、赤くなっているトマトがない」と言って泣いているではないか、お金さえ出せ

ば何でも買える世の中で、物の大切さや、ありがたみを感じてほしいと思った。

この子にとってトマトが熟すまでの時間がその気持ちを育てるのであろうとも思っ

た。

 私は昔から貧乏性のせいか物をあまり捨てない、もちろん食べ物もほとんど残さ

ない、「もったいない」からである。子供が食事を残した時には「もったいないか

ら残したらだめだ」とも注意する。しかし、畑作業を始めてからこの「もったいな

い」の言葉に秘められる意味が変わって来た事を感じた。今までは「もったいな

い」の意味には貨幣価値に変えて「もったいない」だったが、今では、こんなに苦

労してつくった野菜を残すなんて「もったいない」とこの言葉を発する時に貨幣価

値が無くなっている。

我々の世代のように農業経験がほとんどない親が子供に話す「もったいない」と

我々の親のように農業経験を持っている世代の発する「もったいない」には大きな

違いがあると思う。

 ある小学校で「いただきます」を言わなかった生徒を注意した先生に保護者が

「給食費を払っているんだから、いただきますを言わなくても良い」と学校に言い

に来た話を聞いた事がある。 食べ物には貨幣価値に換算できない価値があるはず

である。農業経験から来るありがたみが解らない我々の世代に問題があるのではな

いか?

 食育の活動が色々と行われているが、本当に気づいてもらわなくてはならない事

はこの「もったいない」の気持ちではないだろうか? 物を作る「楽しさや苦労」

が「ありがたさ」に変わり、物を大事にする心が育まれるのではないか? 農業体

験から来る「ありがたさ」を感じる心が、色々な物を大事にする気持ちの根源に来

るのではないだろうか?   

2006年11月

水分計 ■地下灌漑は神の手?

 少し見づらいが写真に写っている物は

「土壌水分計」である。6月7月のカバー

コラムで書いた。農業法人輝楽里のほ場で

ある。 暗渠排水とは、水を流す事だけと

考えがちだが、地下から水を溜めるために

使用した工法が地下灌漑である。中国の内

陸部でも砂漠化防止のためにこの方法と似た事がされているらしい。(その事実も

この目で見たかったが、さすがに中国は広く叶わなかった。) 今年の北海道の八

月は観測史上1、2位を争う程の干ばつを記録した。 そこで、このほ場の土壌水

分を計るためにpFメーターを設置した。地下灌漑を施工した畑では1.7pF程度あっ

たが、地下灌漑をしていない畑ではメーターを振り切っていた。地下灌漑の効果は

歴然としていた。見た目でも葉っぱの勢い、厚さが違っていた。まさに「神の領域

に手を入れた効果であろう」

 これからの暗渠排水は「農業土木」の領域だけに区別するのではなく、「営農の

手段」として扱われるべきかと思う。 私も地下灌漑の施工と方法は理解している

が、「どの作物にはどれくらいの土壌水分がいつ必要か?」これはまだ勉強の必要

がある。今回は大豆については勉強したが、他の作物についてはまだだ、地下灌漑

の施工の提案は出来るが、営農の手段としての提案、指導はできない。 我が社の

近い目標はその部分の充実であろう。まだまだ私も勉強しなくては! 

2006年10月

中国試験場 ■中国の有機農栽培

  数年前中国からの輸入野菜に残留農薬

があり輸入がストップした事件があった

が、その時に「あんな事件があったけど、

中国の有機農栽培は進んでますよ。」と言

われた事があった。

今回、この旅で直に中国の有機農栽培の現

場を見れるとは思っていなく、ゼロエミッションの考え方の試験農場を見て驚い

た。

水耕栽培の農場で液肥の中には鯉が泳いでいた。最初は作物の生長だけを考えた深

さの水槽であったが、水槽に藻が発生し液肥が呼吸できなくなり失敗したため、新

しく水槽を深くして魚を飼う事で藻の発生を防いでるらしい。

水耕栽培のトマトをいただいたが、とても甘かった、私もステビアの販売を通じて

色々な農家さんのトマトの味を経験して来たが、残念ながら甘くて驚いた。このト

マトは市場の物と比べて5倍の価格で流通しているという、もちろん日本には入っ

てこない。

この農場は観光コースにもなっているらしく、多くの外国人も訪れるらしい、私が

ここで見た物を素直に受け、「中国の野菜は安全ですよ」と言ってしまえば、それ

は向こうのメディア戦略に乗ってしまうだけだ。

この農場を出たすぐ隣ではここの農法とはとても違う、「こんな土でよく作物が採

れるものだと思った。」

この農場は中国の農業の牽引役を担っていて、新しい品種、農法を確立し、一般の

農家に普及させる目的を持った施設だ。しかし、都市部の華やかさと農村部の貧し

さの矛盾を感じたように、牽引役の試験場と一般の農場の矛盾も大きく感じた。

中国の農業の機械化はほとんど進んでいないらしい、人が多いから農作業の効率を

あげる必要が無い、だから機械化の必要も無い。

もっと農業以外の産業が発達すれば、農業の近代化が図られるのかと思う。

しかし、他の産業も労働力の搾取がほとんどだと思う。

中国の抱えている問題の根源は「失業問題」この一点に集約する様な気がする。

中国の失業率は公称4%と言われているが、10%とも15%とも言われている。 日本

人全員が失業しているのと同じである。

中国の農業も今後の大きな課題である事は間違いない。しかし、それに対して我社

に『何が出来るか?』それも大きな問題である。

2006年9月

中国 ■中国の文明開化

  先月末に中国を訪れました。何故か中

国行きが決まってから、北海道近代美術館

で開催している鑑真和上展を見たくなり見

てきました。

昔、中国から技術を日本に伝える為に努力

した人がいました。

今、私たちが中国に出来る事は何なんでしょう?

私は以前から中国の農業事情に興味があり、日本と中国の農業のバランスが大事だ

と思い、日本の自給率を上げるため、この仕事をしています。

噂で聞く中国と実際にこの目で見た中国はやはり大きなギャップがありました。

中国の発展は、昔の日本の文明開化以上なのだろうと思います。

イギリスが産業革命から階段を一歩一歩上る様に発展したのに対し、日本は鎖国撤

廃から西洋の技術を一気に取り入れ、エスカレーターで上って行きました。ここ中

国はそれがエレベーターのスピードで駆け上がっているのでしょう。

昔、日本が江戸時代に世界に誇れるランドスケープがあったと言います。

今、中国でもひょっとしたらとても大事な物を失っているのかもしれません。

まさに今、「ラストサムライ」で描かれていた「開発」と「武士道」の矛盾をここ

中国で感じています。

自分は今、日本の文明開化の西洋人のごとく、中国に新しい技術の提案に来ていま

す。

自分は今、鑑真和上が日本に来てから1253年後の今、中国の文明開化の中にいま

す。

2006年8月

大豆 ■食の侵略

  少し大げさなタイトルになったがここ

は大胆に行こう。

先日「拒否できない日本」という本を読ん

だ。この著者とはある大学でお世話になっ

た人である。

この本の内容をここでとやかく述べるの

は、会社のHPという性格上好ましくないので避ける事とするが、この本から色々な

発想をもらった。

皆さんは「大豆」の自給率をご存知であろうか?みそ、醤油、豆腐、納豆など日本

のさまざまな食文化の基礎となるあの大豆である。その自給率はなんと4%程度で

あるのだ。私たちの口に入る物のほとんどがアメリカかブラジルからの輸入品であ

る。中国も輸出国であったが食生活の変化から輸入国になる恐れがあるらしい。

何が言いたいかというと私たちの食生活はとても危ういバランスの上に成り立って

るという事である。

これは言葉を変えると明らかに「食の侵略」である。食文化までも外国の侵略の上

に成り立っているのである。

この自給率を上げるためには、農家さんだけではなく我々消費者の意識が変わる事

が必要であろう。

写真は先月カバーコラムで書いた「輝楽里」の畑である。この地域ではあまり流通

のしていない特別な大豆を豆腐屋さんに頼まれて作っているらしい。もちろん価格

も高い。

フェアトレードという考え方があるらしいが、この考え方を自国の農業にも当ては

めるべきではないか?

自分たちの国の食文化を守るために自国で生産された食糧を買う。当たり前の事で

あるが、この当たり前の事が日本の食糧自給率を上げる方法だと思う。

「医食同源」「身土不二」という言葉がある。私の会社で行っている「暗渠排水」

「ステビア農法」も行く末はここにある。

そのためにはまず、「食の侵略」から自分たちで抜け出す事であろう。

2006年7月

地下灌漑 ■既設土管暗渠に地下灌漑

 江別の農業法人の畑に地下灌漑の施工を

行った。 地下灌漑の考え方は設計事務所

時代にサッカー場の設計をした事から知

り、数年後農業土木の暗渠排水として施工

し、ついに土管暗渠の地下灌漑の施工がで

きた。

このHPを御覧の方には地下灌漑の有用性を御存知の人も多いだろうが、既設土管暗

渠に施した事例はそう多くは無いと思う。 この農業法人の社長さんも「肥料を

やっても、畑の水管理がしっかり行えていないと、作物は根から肥料を吸わない。

土中の水管理ができれば農作物のできばえをコントロールできるからいいんだ!」

と話していた。 今までは作物の出期不出来は天候に左右され、ある意味その天候

の一部を人間がコントロールできると言う事は、実は神の領域の一部を人間が受持

つ事なのかも? 今後このほ場の情報は注意深く見て行く必要があるだろう。今年

は大豆を蒔くらしい。そうそうこの農業法人は今江別で勢いのある 「農業生産法

人輝楽里」である。

2006年6月

土管 ■21世紀型ほ場整備

 21世紀になってから6年が経過した。農業の世界は

21世紀を向かえたのだろうか?

某大学の研究室で21世紀型農村研究会なるものがあ

る。21世紀の農業あり方農村での住まい方、ここから

発信される情報は注意深く見ている。

先日石川県の大学の先生と会う機会があった。日本の

農業事情、中国と日本の食糧の関係、様々な話の意見

交換ができ久しぶりに充実した時間を過ごした。 そ

の話の中で、「これからは21世紀にふさわしいほ場整

備があるべきだ」と言う事を話された。私は頭を殴られる程のショックを感じた。

「農業の多面的機能」の下「環境保全型農業」等と様々な事が考えられているが、

新しい発想の「ほ場整備」は提案されているだろうか?

21世紀型農村研究会では生産を重視した農村ではなく、暮らす事を目的とした事が

議論されている。

ほ場整備も生産性だけを考えるのではなく、農業の多面的機能を本当に発揮できる

新しい考え方が出るべきだ。ほ場の中で流通、消費まで行うか?やはり小麦畑の中

でレストランか?

これは大きな課題を頂いた。正解があるかどうかわからないが、取り組むべき課題

だ!

上記にある写真は昭和40年代の暗渠を掘りかいした写真だ。掘削した部分の土が、

見事に変わっている。

この写真を見た時に「暗渠排水はただ水を流すだけではなく、土を作る発想から検

討されるべきだ」と思った事があったが、

今、改めて21世紀型ほ場整備と21世紀の暗渠排水を考えよう!

2006年4月

スペースシャトル ■ステビアは宇宙

  当社で「ステビア」を扱うようになってからかれ

これ20年は経つであろう、当時は甘味料として扱っ

ており、私も子供の頃からよく食べさせられた、今思

えば実体実験だったのであろう、だから体感的にステ

ビアのことは理解しているつもりである。

しかし、まだまだ、未知の部分も多いと思われる。

そうまさに宇宙である。

農業資材として販売してから様々な効果が出ている。

今ではネットで「ステビア農法」等と検索すると莫大

な量の情報があふれている。

東北大学の先生の本などでも色々書かれているが、私としてはそれでも理解しがた

いことがあった。

やはり宇宙なのである。

しかし、今回その宇宙の話を聞いて、ステビアの未知の部分の理屈が少し理解でき

た。

まさか、宇宙の話とステビアの仕組みに共通点があるとは思わなかった。

まさにステビアは宇宙である。

この作用は医療の世界でも使われ始めているらしい。

その理屈をHPに書くほど私も馬鹿じゃないが参考になるHPを見つけたので理解

したい人は北海道立中央農業試験場のページを、そうでない人は商品をお買い頂い

た方だけにこっそり・・・

やっぱり北海道ってすごい所だ、農業の話 北海道立中央農業試験場 はもちろん宇

宙の話 余市宇宙記念館 まで聞けてしまう。

2006年3月

佐々波漁港 ■普段の生活の延長上に

先日佐々波漁港の朝市に行ってきた。

普段の仕事より早く起きた。

おかげで立山連峰からのぼる朝日を拝む事

が出来た。

朝市に感謝しよう。

「田んぼからのまちづくり」ではないかも

知れないが「漁村からのまちづくり」を感じた。ここは単なる普通の漁港だ。しか

し、この日は市の始まる前から多くのお客さんが集まってきている。べつに朝市を

開くために手のこった事はしていない、そこが良いんだ!一緒に行ったスタッフは

「釧路の和商市場の様に色々食べれた方が良い」と言っていたが、これで良い、一

つもこびていない、少しの「鍋」と新鮮な魚があるだけで、普段の生活の漁港を少

し我々一般人にお裾分けしてくれたのだ。 普段の漁港を簡単に見れない私達には

それがもう価値になるのだ。

輪島の朝市も普通の生活の延長が観光資源となっている。(今では少し観光客にこ

び過ぎているように感じるが・・・) 私が八考会のメンバーと行っている「商店

街軒先ジャック」も生活の一部となる市に育てなくてはならないと感じた。

農村も漁村も商店街もまちづくりのヒントは普通の生活の延長上にある事を教えて

もらった。

2006年2月

五箇山 ■自己責任と結

 最近の世の中の事件から「自己責任」と

「結」という言葉を連想する。 私が自己

責任という言葉を意識するようになったの

は、最初は20世紀後半の頃だろう、ちょ

うど「ワークショップ」や「住民参加」と

いう言葉が出だした時と同時期である。

ワークショップとは、何かのテーマで問題を発見したときに、自らその解決方法も

見つけ出す会議だと認識している。その時には、自分の発言は、言いっぱなしでは

なく、解決する意志を持った能動的発言で、単なる考えを持つ意思とは違う発言で

ある。 この発言こそ「自己責任」を伴った発言である。

  次に「自己責任」という言葉を、よく聞くようになったのは「イラク問題」の

時である。

「政府は邦人を守る責任はあるが、秩序ある行動を求める。」と言うような発表を

聞いた覚えがある。「安全」「自己責任」「政府の役割」何処までが誰の責任なの

か、まさに最近の事件とキーワードは同じである。

 常日頃私達の生活は、動物園の動物と同じではないかと考えさせられる事があ

る。 自分達の食べるものは、誰が生産したものか分からず、自分達の排泄物は誰

かが処理してくれる。 こんな不透明な生活の中で、安心、安全はどこで守られて

いるのだろう。まして、その動物の入っている檻ですら、いつ崩れるか分からない

状態である。

 何年か前から、「食の安全性」の問題が多いことに気づく、牛乳、ハム、カイワ

レダイコン、鳥インフルエンザ、BSE、これらは神のお告げではないかと思う。

「人間よ!食をもっと真剣に考えよ!」と、食べ物も「自己責任」で食べなくては

ならない時代である。

食だけではなく、「建築」ですら安心できるものではなくなってきている。このHP

の中で「農家のおばさんと建築家のおじさんの話」を書いたことがある。やはりこ

の二つの根底に流れているものはまぎれもなく、同じである。

 それでは「自己責任」だけでこれらの問題を解決できるかいうとそれは難しい、

私は農家でもなく、大工さんでもないからだ、しかし、知り合いの農家さんのもの

を食べたり、知り合いの大工さんに家を建ててもらうことはできる。

 これらの問題を解決できる手段は、昔の農村が持っていた「結」ではないだろう

か、農家さんが作った作物は同じ地域の人が食べる。まさに地産地消である。その

地域に住む大工さんに家を建ててもらう。知っている人が建てるから安心できる

し、知り合いが住むから責任を持って建てる。また、その地域で取れた材料で同じ

ような技術で家を建てるから、秩序ある風景の村ができる。

  互いに支えあう仕組みが「結」ではなかろうか、現在の極端な市場経済主義に

走っている日本では「結」が欠落してきているのだろう。「株」にしろ「食」にし

ろ「建築」にしろ今起きている事件の原因は市場経済主義の現れであろう。

子供の誘拐事件や介護の観点から「顔と顔の見える関係」を取り戻そうとする動き

も盛んになって来ている。もう一度地域に「結」を取り戻そうとする動きである。

 私は五箇山が世界遺産に登録された理由は、合掌造りの住居やその集落の景観と

いう見た目の話だけではなく、ここに住む人の暮らし、「人と人のかかわり」「人

と自然のかかわり」目に見えない「結」のある暮らしも含めて世界遺産になったと

思っている。

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