7月 対雁小学校の銘板にまつわる歴史

2025年7月

北海道と北陸を行き来する中で、思いがけない歴史のつながりを知りました。

幕末の北越戊辰戦争で戦った長岡藩の家老・河井継之助の妻「すが」は、のちに森源三の手引きで北海道へ渡り、余生を過ごしました。

森源三は、明治時代に札幌農学校(現在の北海道大学)で、日本人教師として教鞭をとっていました。外国人教師が中心だった農学校において、森は学生と教師の橋渡し役を果たし、日本の近代農業教育の礎を築いた人物です。

実は森と、のちに北海道開拓の中心人物となる黒田清隆とは、江戸時代に出会っていたとされます。森は江戸の長岡藩校で教鞭をとり、そこに薩摩藩から学びに来ていた若き日の黒田がいたのです。皮肉にも、戊辰戦争では森は旧幕府側、黒田は新政府側として戦うことになります。

戦後、二人は再び北海道で交差します。森源三は、江別市・対雁地域の学校創設に尽力し、黒田清隆はその学校に掲げる銘板を書き残しました。

江別の地に、幕末という激動の時代を生きた二人の絆がこうして残っていることは、私たちに深い歴史の縁を感じさせてくれます。