
2025年4月
能登に通うようになって27年経ちますが、初めて曳山を見ました。
昼間は仕事なので動いている曳山は見られませんでした。
能登の地震から1年以上が過ぎ、ようやく解体作業が動き出している状況ですが、復興にはまだほど遠い状況です。そのような状況でも、祭りはやろうとする意気込み
(能登の地震の古い記憶は奈良時代です。このお祭りは平安時代から始まったと言われています。)
この高さ12mの曳山を見ながら「なんでこんな大きなものを作る必要があるんだろう。そういえば能登にはキリコという大きなものがあるな、なんでだろう?」と考えると、能登の地域性と関係があるのではないかと思えてきました。
あれだけの大きなものを作るには地域の結束が必要です。
大きさは共同体の象徴だと思います。材料を集め、設計、組立、飾付け、人と人の連携が無ければ出来ません。
お祭りでも神輿を担ぐ男性、着物や食事を準備する女性、太鼓や笛を奏でる子どもたち、それぞれに役割があります。
役割がある事が自分の存在価値に繋がり、生きる理由にもなります。
そんな能登の人の生き方が、地震と豪雨という二度の震災の中でも生きていく強さを育てているのかと思います。
来年はこの時期まで能登にいるのかわかりませんが、次は元気な子どもたちの声と一緒に力いっぱい動く曳山を見られたら嬉しいです。