
2026年3月
先日、仲代達矢さんを偲ぶ会に参加してきました。
仲代さんがどのような経緯で能登の地に関わり、能登演劇堂が誕生したのか。元行政担当者や建築家の方々が登壇し、その経緯を語ってくださいました。設計事務所に身を置いていた経験のある私にとって、大変興味深い時間となりました。
バブル期、日本ではいわゆる「箱物行政」と言われる中で、全国各地に多くの公共施設が建設されました。私自身も、広場や公園の設計に携わる機会があり、「子どもから高齢者まで利用できる多目的広場を」という考えのもと設計をしてきました。
しかし、仕事を進める中で気づいたことがあります。
「多目的」とは、一見便利な言葉でありながら、裏を返せば“何にでも使えるが、特化した機能を持たない”、いわば「無目的」な空間になりかねないということです。
実際に、スケートボードには適さず、ゲートボールにも使いにくい――そうした中途半端さを感じる場面も少なくありませんでした。
一方で、日韓ワールドカップの際には、日本各地にサッカー専用スタジアムが建設されました。
専用施設はその競技にとって理想的な環境を提供しますが、用途が限定されるがゆえに、維持や活用の難しさも抱えています。
例えば、札幌ドームは、かつてはプロ野球チームの本拠地として機能していましたが、その環境も変化し、今後の在り方が問われています。
そんな中、能登演劇堂を訪れた際、隣に座った方と話をする機会がありました。名古屋から来られた方、そして台湾から来られた方でした。
おそらく彼らは和倉温泉に宿泊され地元の食を楽しまれるのでしょう。そう考えたとき、「文化」が人を呼び込み、「経済」を生み出していることを実感しました。
金沢市もまた、芸事の街として文化が経済を支えてきた地域です。石川県には、そうした流れが脈々と息づいているのかもしれません。
仲代さんは旅立たれましたが、能登演劇堂という演劇専用の施設は、日本を代表する文化拠点の一つであり続けるでしょう。
真に目的を持った「専用施設」として、これからも長く愛され、活用されていくことを願っています。
